皆が幸せになれる

日本経済をそうした個人主義的な態度は、将来の日本経済のためにむしろ有益であると考える。欧米のビジネス界では、日本の伝統的な習慣に比べてもっと個人主義的である。国際化した日本のビジネス界には、より個人主義的なスタイルの方がマッチする。

先輩や上司に媚を売る年功序列の秩序に対するノスタルジーは、捨て去るべきである(ただし、人徳のある先輩や上司を個人的に敬う心は捨て去るべきではない)。そのノスタルジーこそ、ネズミ講式「お約束」への執着心そのものである。ネズミ講式「お約束」、年功序列の秩序は、全てがよくないわけではないが、今の日本経済にとって有害な性格を多分に含んでいる。

年上の上司が、年下の部下をほぼ無条件に従わせる性質があるため、年上の上司が既存の秩序に既得権益を持つ以上、改革を起こしにくい。部下は上司の言うことに無条件で従わなければ、組織が円滑に回らない、というのは正論である。

しかし、上司が年長者である必要は全くない。年少者でも有能なら、年下の上司に年上の部下ということが当然あってよい。年功序列とは、年上の上司に年下の部下ということをほぼ意味している。組織内の地位を、年齢で決めるべきではない。著者がアメリカの大学で話をした時、日本の大学の職位も給料もほぼ年齢だけで決まっている、と言ったら大いに笑われた。さらに、年上の人の面子を保つために、しばしば責任の所在を曖昧にする性格もある。

責任の所在を曖昧にすることに付随して、不祥事が起こったときに情報を隠そうとする傾向もある。さらには、不祥事が起こったときに困るから、そもそも予め情報の所在や情報そのものを稚拙な方法で隠しておこうとする。最も稚拙な方法は、上司部下関係を使った口封じである。こうしたことが、しばしばネズミ講式「お約束」に起因している。

これらは、これまでの悪かったところを赤裸々に明らかにした上で、これからのよりよい方策を考えなければならない状態にある今の日本経済にとって、百害あって一利なしである。これからの日本経済に生きる私達にとって、今必要なのは、これまでの日本経済のどこがどのように悪かったのかを赤裸々に明らかにすることである。

そのためには、今まで明らかにされてこなかった情報も必要である。もし年功序列の秩序が情報公開を妨げる一因になっていれば、その意味でもその秩序は直ちに改めなければならない。特殊法人や地方自治体の話は、著者にとってそのような思いを込めて書いたものである。決して、特殊法人や地方自治体の職員の方を貶めようという悪意を持って書いたものではない。これからを良くしたい一心で書いたものである。

これまでの悪いところを明らかにした上で、これからの日本経済の将来をより明るいものにするための方策を考えてゆかねばならない。今のアメリカ経済が好調だからといって、アメリカ式の「お約束」を全て真似する必要はない。

しかし、学ぶべきところはたくさんある。挙げればきりがないが、今の日本経済にとって重要なものとして、自己責任の原則、他者を思いやる秩序をここであげよう。自己責任の原則は、これまでにも巷間で言われていることである。責任の所在を曖昧にすることは、長い目で見れば皆の得にならない。誰かが損して泣き寝入りするか、後で事実が暴露されて責任を曖昧にした者に(法に基づくもの以上の)過度な制裁がくるかのどちらかである。

特に、ネズミ講式「お約束」が責任の所在を曖昧にすることを助長してきた側面がある。だから、これを改めなければならない。どのように改めればよいか。それは、日本経済の秩序をより個人主義的にすることである。「失敗したらその責任は自分にある」という認識を広めるとともに、自己責任の原則が徹底できるように法体系・経済社会の諸制度を一つ一つ改正してゆく必要がある。ただ、個人主義的になり過ぎると、人間関係が殺伐としてしまう。

自分だけが幸せになればそれでいいというのは、個人主義のはき違えである。自分だけが幸せになればよいという、他者に対して非協力的な姿勢では、日本経済は再生できない。アメリカの秩序には、個人主義的ではあるが、人間関係を良好に保つ工夫がある。それを著者なりに表現すれば、他者を思いやる秩序である。著者のアメリカでの具体的な経験がある。

ある日、著者の娘が公園で遊んでいると、親の眼から見えないところに楽しげに一人で勝手に行ってしまった。日本でなら、楽しげにしている娘が一人で勝手に行っても誰も何とも言わないのが普通である。

ところが、「この子の親は誰だ?」と周りのアメリカ人が、頼んでもいないのに探し始めた。それに気がつき、娘の元に行くと、「親は子供から目を離してはいけない!」と親切にも説教をしてくれた。アメリカでは「親は子供から目を離してはいけない」というのが原則である。小さな子供が一人でいると、子供が楽しげな顔をして勝手に行ったとしても、親の監督責任を問うという雰囲気がある。

逆にいえば、それだけ、周りの人が他人の子供でも温かく気にかけているといえる。他人の子でも良くないことをすれば叱るように、子供はどこの家の子でもコミュニティー全体で育てるという慣習が、アメリカでは生きている。日本では、他人の子を叱れないことが象徴しているように、このような雰囲気は失われてしまった。同様の雰囲気は、アメリカ経済の中にもある。

こうした他者を思いやる雰囲気は、責任の所在を明確にし、自己責任の原則を確立した上でなければ築けない。個人主義的だからこそ、他者を尊重し、自らも尊重される。日本の伝統的な連帯責任、年功序列の秩序だと、より良く他者を尊重できない。年功序列の秩序をかさに来て、先輩が後輩をアゴで使う慣習は、明らかに他者を尊重できていない証拠である。

幸い、著者は良き先輩に恵まれたといえども、年功序列は改めるべきであると主張したい。目下の日本経済は、先行きの不透明感と相互不信によって、互いに非協力的になっている。日本経済の政策の舵取りをする財務省と日本銀行の間ですらそうである。

その上、ネズミ講式「お約束」から脱却できていないから、自己責任の原則も確立できていない。財務省と日銀の例で言えば、財政政策と金融政策の責任の所在が曖昧で、不況の原因を互いになすりつけ合っている状態である。これは、日本のビジネス界全体にも蔓延している雰囲気である。責任の所在を明確にし、自己責任の原則を確立し、その上で他者を思いやる秩序を築くことができれば、皆で幸せになれる(「幸せになる」という文学的表現を胡散臭いと思う読者のために、より客観的に経済学の専門用語で言えば、皆が協力的に行動すれば皆の効用が高まるということである)。

少なくとも、この二つだけでも全うする経済取引での秩序を構築できれば、必ずや日本経済は再生できる。

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